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信長熱

織田信長とその周辺について思うことあれこれ

御ツマキ考(2)

妻妾 御ツマキ 明智光秀

昨日の続きです。ここで、「御ツマキ」の読み方と、「キヨシ」の意味が問題となっているということでした。これについて私なりの考えを書いてみたい。 

今暁惟任被歸了、無殊儀、珍重〃〃、去七日、八日ノ頃歟、惟任ノ妹ノ御ツマキ死了、信長一段ノキヨシ也、向州無比類力落也、

 

1 御ツマキについて

結論から言ってしまえば、御を接頭語と解して「御つまき」と読むのは間違っている、と断言します。たとえば、伊勢の御、などという平安時代の女流歌人の呼び方を思い出してほしい。これは敬称です。辞書を引けば解決する=既に、先人によって解決済みの問題。

「御」(ご、お、おん)で辞書を引きます。

漢和辞典は角川の新字源をあたりましたが、接尾語の用例がないですね。漢語的な使い方じゃないってことでしょうね。なので、古語辞典を引きます。三つ出ています。

一応高校生向きの古語辞典*1から解説を引用しておきます。

ご-【御】[接頭](漢語の名詞の上に付いて)尊敬の意を添える。「―所」「―前」など。

-ご【御】[接尾](人を表す語について)軽い敬意を添える。「母―」「叔父―」「嫁―」など。

 ご【御】[名](「・・・の―」の形で)女性に対する敬称。例「淡路の―の歌に劣れり」

 さていかがでしょう。上から順に①、②、③と便宜上番号を振ります。

今まで散々議論されていて、おかしいと言われながらも読まれている「御ツマキ」は①の用法ですが、ツマキは漢語じゃないんですよね。姓です(女性の場合は実家の姓で書かれることが多いですから)。このことから御ツマキは誤読だと考えていいと思います。御織田、御明智・・・言いませんよね、言わないってば。

②③は、どちらでもよさそうですが、形からみて③かなぁ。

光秀の妹への敬称ですね。そんなに重い敬意ではありません。この場の雰囲気には合った使い方だと思います。「惟任の妹さん」、くらいの軽い感じです。

辞書で調べても、なお議論していたんですかね?

 

2 キヨシについて

 

「五師職方日記抄」天正六年十二月八日条に「万仙ハ一段、信長殿、儀ヨシニシテ」と、記述されている。信長の側近である万見仙千代重元が有岡城攻めで討ち死にした記事である。同様な事例であろう。「ヨシ」をお気に入りと解しても、側室とするのはいかがであろうか。

御ツマキ考(1) - 信長熱

 

気-良し、もしくは気-好し、と字をあてて「お気に入り」である、ということから一足飛びに「側室」とか関係があったけど子をなさなかった、とかもうすっごい妄想力としかいいようがない。

ここへ来て、万見仙千代への使用例が見つかり、「儀よし」ではないか、と論考されている。ただ、気よし、儀よし、どちらをとっても意訳すれば「お気に入り」となるのは概ね異論のないところであろう。

むしろ、わたしが気になったのは惟任の妹も、万見仙千代も、その死にあたっての人物評価に「信長一段のキヨシにて」が用いられていることである。

もしかしたら、「○○一段のキヨシ(儀よし)」はある家臣が死んだときに顕彰するために用いる慣用表現ではないだろうか。史料をもう少し精査する必要があると思う。

もっとも天正6年の万見仙千代の働きぶりはいかにも信長好みというか、滅私奉公というか、休む間もなく働いている。家臣たちからの陳情もうまく捌いていたようだし、間違いなく「儀よし(手本になるような様子)」であったろう。この場合の儀は手本、くらいの意味。よしは、またまた辞書ですけれども、様子、という意味があります。名詞。いままではこれを形容詞ととっていますが、それでも気・よしで寵愛されているとか、ではないと思う。この時代(室町後半から安土桃山時代)に後世の「気がある」のような使い方があるか、なお、検討の余地はあろう。日葡辞書か。持ってないし。

さて、ではいったい光秀の妹はどこで死に、光秀はいつ知ったのか。書き手は誰からその話を聞いたのか。さらに考えていきたい。その上で、本当にこの女性がなくなったことが本能寺の変の遠因になったのかどうか、じっくりと考えていきたい。

この女性のプロフィール、ちょっと得意の妄想が始まってしまった。そんなことも書きたい。

まずは資料を集めてこないと・・・オツマキについては来週の木曜日頃更新いたします。

*1:「全訳読解古語辞典」第四版・三省堂p433